入院 ⑦ 術後
こんにちは、黄色い麒麟です。
今日は「成人の日」ですね。
自分はもう20年以上も経つんですね、成人式から。でもつい最近のように感じます。
よく20歳から年をとるのが早いといいますがホントですね。あっという間に40過ぎのおっさんです。
自分的には30歳が男の「成人式」だと感じました。男の20台はまだまだ遊びたい盛り。
仕事よりも「遊び」。30になってやっと回りが見られるようになったかな?と感じています。
しかし、30代になってからさらに歳をとる速度が加速して今に至っているような感じがしています。40代もあっという間に終わってしまうのでしょうか?
でも骨折の完治に関しては、時間の流れを遅く感じてしまいます。確かにもう80日経ったっていう思いもありますが、まだ松葉杖?っていう思いもあります。
「あせらず、焦らず」
この言葉を忘れずに過ごさなければいけないと思います。
さて、入院⑦のお話ですが、手術が終わり麻酔を抜かれ目が覚めました。
眠っていったように目が覚めました。
ただここからしばらくの間、「ボ~っと」していてあまり覚えていません。
覚えている事は、術後は色々な管が体についていて動けませんでした。点滴、尿道への管、右足に装着されている装置など、体を動かせる状態にありません。
その状態で病室に戻ったのですが、この時に病室を変えたみたいで本来の整形外科病棟の階に移されました。
ただこの時ボ~っとしていたせいで、運ばれた病室の位置関係、病室内のどの位置に居るのかまったく分からず、不思議な感覚でした。窓際でない事は確かでした。
おそらく、手術が終わった時間は午後1時か2時位だと思います。ここから朝まで人生で一番長く感じた時間でしたね。
病室に着いてからすぐに嫁さんが来てくれたのですが、ボ~っとしていたせいもあり、何を話したかも覚えていませんが、あまり話す気力も無くすぐ帰ってもらいました。
後で嫁さんに聞いたら、話したくなさそうな感じが分かったので、察してすぐ帰ったと言っていました。
それから徐々に麻酔が切れてくるに従い、痛みが増してきました。
なんとも言えない痛みで、鈍痛っていう感じです。
あと痛みと違って強烈に嫌だったのが、「残尿感」です。術後尿道に管を入れるとは聞いてたのですが、この残尿感は嫌でした。常にオシッコが出ている感じで、足の痛みと同じくらい耐えがたいものでした。
ボルト抜く時にまたこの管はしたくないなぁ〜!って感じです。
右足には「エコノミー症候群」を防ぐために、マッサージの機器みたいのを付けていて常に右足を揉んでいました。
左手には点滴と痛み止めの装置が付いていて、この痛み止めは痛い時にワンプッシュで点滴と一緒の管で液が流れている仕組みになっています。
左あしは術後のせいもありだいぶ腫れていてパンパンでした。ギブス等は付けておらず包帯のみでした。
夜になるに連れて「鈍痛」が激しく痛んできて、痛み止めのワンプッシュしても効いている気がせず、痛みにもがき苦しみました。
眠れないのはもちろんのこと、時間を見るのも嫌、服がはだけてそれを治すのも嫌なほど痛みで気力が失せました。
足の鈍痛を少しでも解消するため、足を少しずつづらして気を紛らわせていたのをよく覚えてます。こうしていないと痛みも紛れない気がしました。
看護師さんが来る時には足をずらしてもらい、高さを変えてもらったりしていました。
とにかく痛みが気になり、夜中は時間が経つ遅さが気になりながら、足をずっとズラす事に集中していました。
TVも付けましたが夜中って言うのもあり、つまらないものばかりで、時間が止まったかような感覚にさえなりました。
しかし、どんなに長い夜でも来ない朝はない。
ちゃんと朝が来ました。
でも、夜の間の痛みのせいで体力、気力を吸い取られました。
朝ごはんはもちろん食べる気がせず、手術服を着てたのですが、あちこち肌けたまま。
手術服がまた、あちこち開いたりするから余計に肌けてたのです。
でも、有難い出来事があり看護師さんが尿道の管を外してくれました。
若い看護師さんでしたが、取ってくれるなら恥ずかしさもなにもなく、有りがたかったです。
お昼に近づくにつれ、痛みに慣れてきた気がしましたが、ホント動く気がせず「いつまでこの感じが続くのだろー?」なんて思っていました。
そして思い切って着替えて見る事にしました。
手術服に呪いがかかってたのでしょうか?笑
着替えた途端、スイッチが入ったように動けるようになりました。
人間、やる気は必要ですね。笑
車椅子も乗って移動も出来、お昼も食べられました。
これが、術後のお話でした。
また、ボルト抜くのに同じ痛みを経験しなければいけないのでしょうか?
誰か分かれば教えて頂きたいです。
続く。